伝統と観光

朝日新聞伝統と観光、揺れる「おわら風の盆」 富山・八尾

  • こういう記事が出るのは、地元出身者としてはとても複雑な思いがする。何年か前にも、バスの時間があるのに踊りが見れないと腹を立てた観光客が舞台に石を投げて問題になっていた。
  • 町では観光客を分散させようと、前夜祭を開催したり、時期をずらして「月見のおわら」を開催したり対処しようとしているのだけど、それらを見た人が「本番はもっと素晴らしいに違いない!」と、舞い戻ってくるため、かえって混雑がひどくなっている、ときいたことがある。
  • 私自身、おわらは大好きで、たくさんの人に知って欲しいと思っているから矛盾を抱えることになるのだけど、今の状況を「メジャーになった」と喜ぶ気持ちには到底なれない。
  • 個人的には、観光バスの受け入れを止めてしまってもいいのではないかと思っている。
  • 八尾の人は、まず、自分が楽しむためにおわらをやっている。1年中稽古して、日付が変わって9月1日になったとたんに、待ちきれなくて外に出て町流しが自然発生する。1日・2日の夜は観光客向けに競演会と町流しをするが、公式行事が終わると、気の合う人同士で思い思いにおわらを楽しむ。若い踊り子たちは町ごとにお揃いの浴衣に法被をも身にまとい、手拍子をそろえてお囃子を唄いながら歩き、カセットで音を流して踊る。ちなみに踊り子は25歳になるか、結婚したら引退。あのしばしば「優雅」と評される所作は、子供のときから繰り返し練習して身につけた賜物。町によって細かいところが微妙に異なるので、親からではなく、近所のお兄さん・お姉さんから教わり、伝統を受け継いでいる。踊り子の中心は高校生から20歳前後の子たち。
  • 地方の人たちは路地に入り込み、建物の壁に三味線や胡弓の音を響かせ、その余韻を楽しみながらおわらを唄う。大きな通りでは音が素通りしてつまらないそうだ。その後ろを、引退したOB・OGたちが、思い思いの浴衣で、そっと踊りながらついていく。
  • 町の人がおわらを存分に楽しむ姿を、横からそっと見せてもらう、というのがおわら風の盆の本来の姿なのだと思う。だから、本当に見たい人だけが、公共の交通機関で足を運ぶ、というのが良いと思う。
  • 観光バスが出て行った後の「夜中のおわら」が良いと評判になり、最近はそれを目当てとした「夜明かしツアー」が増えているらしいが、せめてそれだけでもやめて欲しい。夜中だけでも町の人に本来のおわらを返してあげたい。


asahi.com 2010年9月3日19時56分
伝統と観光、揺れる「おわら風の盆」 富山・八尾

 哀愁漂う胡弓(こきゅう)の音色に合わせ、踊り手が優雅な舞を見せる富山市八尾町の「おわら風の盆」。秋の風が吹く9月最初の3日間に、豊作を祈って地域の軒先を踊り歩く姿を、優美さに魅せられた人が後に続いたのが見物の起こりだ。ただ、人口約5千人のかいわいに、20万人を超える観光客が押し寄せるようになり、「伝統」と「観光」の間できしみが生じている。

 1日午後10時前。石畳の薄暗い通りで、数人の女性ツアー客らが、交通整理をする浴衣姿の男性に詰め寄っていた。「もう帰りのバスの時間。8時半から見られるって聞いてたのに、何も見ないで帰れって言うんですか」。男性は「苦情は旅行会社に言って」とそっけなかった。

 1985年に出版された高橋治の小説「風の盆恋歌」が、おわらブームの火付け役といわれる。

 ただ、現地を訪れても、踊りは簡単には見られない。阿波踊りのような大規模な祭りと違い、11地区に分かれた街筋のそれぞれで計20人ほどの一行がまちまちに踊る。さらに、「御花」と呼ばれるご祝儀を出す軒先で踊りを披露することも多く、50メートル進むのに1時間かかることも。混雑で身動きできないなか、踊りが回ってくるのを2時間以上待つケースも珍しくない。

 鹿児島市などから来た60〜70代の女性グループは「ケータイの時代だし、もっと細かい進路を案内してほしい。見る人に喜んでもらってこその、伝統でしょ」。遠くから高い料金を払って訪れたツアー客には特に不満が多い。

 一方、地区をまとめる男性(47)は「自分たちのための伝統だった踊りが、『見せもの』になりつつある。文化を『見せてもらう』という姿勢で来てほしい」と反論する。薄暗いぼんぼりがともる通りで、禁止されたフラッシュの嵐が起こるなど、マナーの乱れも目立つ。「お客さんに来てほしい半分、減ってほしい半分です」

 受け入れる側も手をこまぬいていたわけではない。今年から初めて、踊りを見学できる時間の目安を記したチラシを配った。地元観光協会の職員は「これだけのお客さんを無視もできない。いかに観光と伝統を両立させるか、永遠の課題です」と話した。(高野遼